左側通行
スペインの道路は右側通行だ。ヨーロッパの大多数の国が右側通行を採用しているので、これ自体は特段驚くべきことではない。ところがである。ビルバオのメトロやバスク鉄道、それからマドリードのメトロ、どれも左側通行なのだ。これはどういうことなのだろうか。
鉄道がすべて左側通行かというと、そうでもないらしい。スペインの主要都市を網の目のように結んでいる国鉄 Renfe は、基本的には右側通行なのだ。
Googleで調べてみたところ、まず真っ先に「マドリードメトロはなぜ左側通行なのか」というページがいくつも見つかった。主に2つの説があるそうだ。
まず1つ目の説は、1924年までスペインの道路は左側通行だったため、当時の鉄道もそれに倣ったというものだ。自動車が普及する前の交通手段といえば、馬車が主流だ。人口の大多数が右利きであることを踏まえると、馬車の運転手は右手で鞭を持つことになる。この状態で右側通行をすると、歩行者に鞭が当たってしまう危険性があるわけだ。そういうわけで、左側通行が採用されていたらしい。
2つ目の説は、イギリスの影響だ。鉄道発祥の国・イギリスの鉄道をモデルとしてマドリードメトロが建設されたというものだ。
しかし、これではバスク地方一帯の鉄道がすべて左側通行であることは、まだ検証できていない。さらに調査を続けてみた。
このブログによると、
... porque los primeros coches que se adquirieron eran británicos y llevaban el puesto de conducción y demás especificaciones técnicas adaptados a ese modo de circulación.
最初に導入された車両がイギリス製であり、運転台の位置やその他の技術仕様がこの状態(左側通行)に適合していたからです。
とある。なるほど、こちらもやはりイギリスの影響というわけか。バスク地方から大西洋を隔てた対岸はイギリスである。当地の製鉄業にはイギリス資本も多く参入していたようなので、彼の地から最新技術がいち早くもたらされたのはごく自然な流れだろう。とはいえ、最初の車両がたまたまイギリス製だったからといって、バスクの鉄道がどれも左側通行で整備されることになるのか、という点は議論の余地がありそうだ。ましてや黎明期の鉄道は単線である。複線化されるまでは、進行方向はさしたる問題とはなるまい。
他にもいくつかの文献に当たってみた。
このブログを読むと、左側通行採用の背景には、スペイン各地の民間企業による鉄道敷設と、国有化の歴史が絡んでいることがわかった。複線化が進められた当時、スペインにはMZAとCompañía del Norte(直訳すると「北部会社」)いう2つの大手私鉄が存在したそうだ。MZAが右側通行であったのに対し、Compañía del Norteは、単にライバルの反対のことをしたくて左側通行を採用したのではないかと、ブログの筆者は考えている。その後、1941年に両者が統合され国有化された際、原則として右側通行を採用することに決まったそうだが、バスク地方を含む「北部会社」の鉄道は、左側通行が維持されたとのことだ。
なお、鉄道において左側通行・右側通行を切り替えるには、膨大なコストがかかるため現実的ではない。信号を上下線の方向に合わせて変えなければいけないし、渡り線(複線において、2つの線路の間をまたぐ線路)の位置や方向など、線路自体も作り替える必要があるだろう。韓国で日本統治時代の影響を排除しようという試みが行われた際、鉄道を右側通行に変更するための費用を試算したところ、数兆ウォンに上ることが判明し、実現しなかったくらいだ。
また、バスク地方はピレネー山脈を挟んでフランスと国境を接しており、バスク鉄道はフランスの港湾都市バイヨンヌまで線路がつながっている。フランスの鉄道は左側通行であるから、左側通行は都合が良かったのかもしれない。
これらの因果関係を紐解くには、時系列や資本関係などを調べる必要があるだろうから、素人の疑問を解くにはこの程度で良しとしよう。
ともかく、バスクでは鉄道は左側通行ということだ。