バスク人の足跡
バスク人は、昔から操船術に長けている民族として知られていたようだ。かつて大航海時代には、多くのバスク人が船乗りとして世界中を駆け回った。かの有名な宣教師フランシスコ・ザビエルも、船乗りではないが、遠路はるばる日本までやってきたバスク人の一人だ。
私のアパートの大家さんというかホストマザーも、祖父は船乗りだったらしい。先祖は遠くフィリピンにまで赴いていたようで、スケールの大きさを実感する。フィリピンは、1898年までスペインが領有していたという歴史がある。江戸時代には、日本の銀がマニラへともたらされ、スペインの海上交易と金融経済に間接的な影響を与えていたとのこと。
スペインの世界進出を支えたバスク人の足跡は、世界各地に残されている。ここでは、日本から海を隔てて隣り合う国・フィリピンにおける彼らの足跡を訪ねてみたい。
まず、人類史上初の世界一周を成し遂げたマゼランの一行には、多くのバスク人の船乗りが含まれていたそうだ。マゼランはキリスト教への改宗に抵抗する現地の酋長ラプラプ王に殺害され命を落とすのだが、マゼラン亡き後に船団を率いたエルカーノという人物はバスク州ギプスコア県の出身だ。さらに初代フィリピン総督となったレガルノという人物もバスク人だし、二代目の総督もこれまたバスク人だという。
そうした彼らの貢献を反映してか、フィリピンにはバスク地方に由来する地名がある。私が住んでいるのはスペイン・バスク自治州のビスカヤ県だが、フィリピンにはヌエバ・ビスカヤという名前の州が存在する。「ヌエバ」はスペイン語で「新しい」の意味だから「ニューヨーク」とか「ニューハンプシャー」と同じ類の名前だ。実際に、ヌエバ・ビスカヤ州の紋章の一部には、ビスカヤ県の紋章が取り入れられている。
フィリピンに定住し、今に至るまで現地社会で成功を収めているバスク人も多いようだ。フィリピンで最古かつ最大の財閥「アヤラ財閥」は、バスク州アラバ県にルーツを持ち、先祖は19世紀にフィリピンに渡ってきたという。今では銀行や不動産、通信会社を傘下に収める大きな企業グループに成長している。そのほかにも、中小さまざまな財閥が、バスク人によってつくられたそうだ。
むろん、バスク人としてのアイデンティティは時代とともに希薄化しているようだが、バスク人の航海術と、独特の結束力が、遠く離れたアジアの発展(と呼ぶか簒奪と呼ぶか)に寄与したのであれば、その足跡は記憶に留める価値があるだろう。また、彼らが故郷を離れて遠く海外を目指した理由には、何世紀にもわたるバスク民族への弾圧があったことも付け加えておく。