100日後にスペインに行く人

スペイン語初心者の学習記録

Despacitoで学ぶスペイン語

皆さんはレゲトンを聴いたことがあるだろうか? 主にラテンアメリカ出身の歌手によって歌われる、独特のリズム感を特徴とする音楽のジャンルだ。

 

ここ10年間のレゲトンの隆盛は、目を見張るものがある。娯楽や大衆文化の発信源として、英語のコンテンツを世界に送り出してきたアメリカ合衆国のヒットチャートにも、スペイン語で書かれた曲が当たり前のように並ぶようになった。YouTubeの動画再生回数で世界記録を塗り替えた Despacito はその代表例だ。2023年現在、MVの再生回数は80億回を突破している。これはスペイン語圏という共通言語の枠の中にとどまらず、独特のリズムや雰囲気に惹かれるファンが世界各地に広がっていることの証だろう。

 

youtu.be

 

Despacito の歌詞は、なかなか過激である。歌い手の意図がわかるように意訳すると、本邦ではR18扱いになってしまうだろう。そんな内容を臆せずに歌ってしまうのがラテンアメリカならではだ。興味のある方は、日本語訳を載せているWebサイトをいくつか見てみてほしい。

 

ここでは、その歌詞の中から、スペイン語特有の文法を取り上げてみたい。

 

sabes que ya llevo un rato mirándote

llevo (llevar) は英語の take や bring のような意味の動詞だ。英語の take には it takes five minutes to ~ といった使い方があるように、llevar にも時間の経過を表す用法がある。un rato は「ちょっと・しばらく」という時間経過を表す副詞句で、同僚との会話でもたまに耳にした。mirándote は現在分詞なので looking at you となる。

 

したがってこの表現は I have been looking at you for a while となる。前後の文脈も考慮すれば、主人公の男性は前々からこの女性のことを「目で追いかけてきた・狙っていた」と解釈できるだろう。

 

英語の take が多種多様な意味や用法を持ち、慣用表現化しているものもあるのと同様に、スペイン語でも llevar や dejar, tomar, hacer など、基礎的な単語ほど奥が深い。

 

se acelera el pulso

スペイン語には、語順の制約が少ないのが特徴だ。se acelera が述語、el pulso が主語で「脈が速くなる・鼓動が高まる」という意味である。これを主語・述語の順に並べて el pulso se acelera とすると、なんだか語呂が悪いし、響きも悪く感じる。

 

素人の想像ではあるが、世の中の作詞家は、幾多の制約と向き合いながら歌詞を書いているのだろう。韻を踏むようにしたり、音節の数を合わせたりして、歌詞がリズムよく流れるように工夫しているはずだ。そのため、意味的にはドンピシャな単語があったとしても、テンポに合わなければ別の単語を使わざるを得ない。しかし、単語をある程度並び替えてもよいとなれば、使いたい単語を使える可能性が出てくるわけだ。

 

スペイン語ならではの語順の自由度の高さが、歌詞とメロディーの組み合わせをより柔軟にして、レゲトンという音楽を成立させているのではないかと思う。

 

Esto hay que tomarlo sin ningún apuro

hay que という表現が使われている。必要性を表す構文で、Esto hay que tomarlo sin ningun apuro は「それを焦らずにやらないといけない」という意味だ。

 

ところで、歌詞の冒頭には tengo que bailar contigo hoy「今日私はあなたと踊らないといけない」というフレーズがあった。tengo que も hay que も、義務や必要性を表す表現だが、前者が文章の主語に合わせて動詞 tener が活用するのに対して、後者は動作主がない「無人称文」だ。

 

  • Tengo que bailar contigo hoy (I have to dance with you today)
  • Esto hay que tomarlo sin ningun apuro (It has to be taken without haste)

 

英訳を読むと、ニュアンスの違いが伝わるだろうか。

 

確かに前者の「あなたと踊らなきゃいけない」のは、主人公自身が置かれた状況を表しており、踏み込めば「あなたと踊りたい」という本人の気持ちの裏返しとも言える。

 

一方で後者の「魅力的な女性を前にしても、冷静さを保たなければならない」というのは、誰にでも当てはまる一般論だ。歌の主人公は、そんな一般論を自分に言い聞かせて、昂る気持ちを抑えているのだから、ここは hay que を使わないといけない。

 

Quiero ver bailar tu pelo

中学の英語で「知覚動詞」を習ったと思う。see (見る) や hear (聞く) など「知覚」を表す動詞では、その目的語を動作主とみなし、不定詞/現在分詞/過去分詞を続けることができる。例えば「私はあなたの犬が走る(走っている)のを見た」であれば、

  • 知覚動詞 + 目的語 + 不定詞 (動詞の原形)
    • I saw your dog run
  • 知覚動詞 + 目的語 + 現在分詞 (動詞の ing 形)
    • I saw your dog running

の2つの形で表すことができる。

スペイン語でも、これとまったく同じルールが当てはまる。

  • 知覚動詞 + 目的語 + 不定詞 (動詞の原形)
    • Yo vi a tu perro correr
  • 知覚動詞 + 目的語 + 現在分詞 (動詞の ing 形)
    • Yo vi a tu perro corriendo

なお、上の例文は「目的語が人や動物の場合、前置詞 a を置く」というルールが当てはまるため a tu perro となっている。

 

さて、ここでタイトルに挙げた歌詞を見てみよう。

Quiero ver bailar tu pelo

主語は省略されているが yo (一人称単数) である。また quiero は英語の want to に相当し、後ろに不定詞を取る。したがって Quiero ver は I want to see と訳すことができ、文法的になんの不思議もない。

 

しかし次の bailar は dance という意味の動詞の原形だ。動詞が3つも続いているなんて、文法的に正しいのだろうか?

 

先ほど、語順の自由度が高いのがスペイン語の特徴だと紹介した。この歌詞は、一般的な知覚動詞の構文において、目的語 tu pelo とその後ろの不定詞 bailar を入れ替えたとすると説明がつく。

Quiero ver tu pelo bailar

→ Quiero ver bailar tu pelo

 

「語順の自由度」とひとことで言っても、元の文法をきちんと理解していないと意味がつかめない。限られた状況でしか使われない英語の「倒置」なんかと比べると、スペイン語の語順はもっと頻繁に変化する。深層学習が登場する前の自然言語処理では厄介だっただろうなと思う。

 

Y que olvides tu apellido

これについては、やや難しい内容になる。スペイン語で接続法を学んだ人以外は、読み飛ばしてもらいたい。

 

唐突に接続法が出てくる。なぜだろう?

 

この歌詞のシチュエーションを整理すると、

 

Déjame sobrepasar tus zonas de peligro hasta 

A. provocar tus gritos

B. que (tu) olvides tu apellido

 

となり、AとBという2つの状況が並べられている。

 

Aについては、後ろに続く内容の動作主が自分なので、動詞の原形 provocar を繋げられる。一方でBは、後ろに続く内容の動作主は相手なので、queを使って節を作らないといけない。hasta que は until when、ある時点を表す。それが過去のある時点の場合、後ろに続く内容は過去に起こった事実であるから直説法を使うことができる。しかし未来のある時点の場合、後ろに続く内容はまだ起こっていないし、起こるかわからない仮定の話なので、ここでは接続法になるのだ。

 

 

ここまで、4つの例を用いてスペイン語の文法的特徴を紹介してみた。実はスペイン語の検定試験 DELE の試験対策の合間にこの記事を書いているのだが、やはり語学学習において、音楽は強力なツールだと感じる。しかし、ただ漫然と同じ曲を聴いていても意味がない。一度、歌詞を丁寧に訳してみたり、文法を考えてみることで、歌詞をきちんと理解しておく。その上で、メロディーが耳に残るという効果を利用して、記憶を定着させれば完璧だ。

 

どの言語を学ぶにしても、文法や単語がある程度わかってきたら、好きな曲を見つけることで語学学習をブーストさせられるはずだ。

 

余談

私がビルバオでの生活を始めた当時、夕暮れ時になると目抜き通りにあるデパートの入り口近くに腰掛け、毎日のようにアコーディオンを奏でている初老の男性がいた。彼のもっぱらのお気に入りがこの Despacito で、バスを降りて家に向かう途中、毎日のようにこの曲を聴いていた。軽快なリズムとアコーディオンの音色が何ともいえない味わいを醸し出していて、今まで聴いたどんなカバーもあの音色を超えるものはない。