100日後にスペインに行く人

スペイン語初心者の学習記録

Hasta la vista, baby!

ダウニング・ストリート10番地からあの男が去る。

 

20日、下院で最後の答弁に立ったジョンソン首相は、自身の発言を Hasta la vista, baby! という言葉で締めくくった。これは映画「ターミネーター2」で、エドワード・ファーロング演じるジョン・コナーが、アーノルド・シュワルツェネッガーが演じるT-1000にトドメを刺す直前に言い放つ名ゼリフらしいのだが、あいにくこの名作を私はまだ観たことがない。

 

それはさておき、このセリフ、スペイン語である。英訳では See you later などと訳されているようだが、スペイン語の会話において別れ際に Hasta la vista と言うことはめったにない。なぜならこの表現には「もう二度と会うことはないかもしれないが」といった感情が込められているからだ。したがって、日常会話では Hasta luego「また後で」と言うのが常識的な(?)対応である。

 

あっと驚くフレーズを持ち出して、最後の瞬間にまで議場に爪痕を残していったことで、イギリスの新聞各紙は軒並みヘッドラインにこの名ゼリフを冠して「ボリス劇場」の幕引きを報じている。

 

 

youtu.be

 

さて、この名ゼリフがどういう文脈で出てきたのかを、上の動画を観ながら考えてみたい。カギとなるのは直前約10秒に出てくる Mission largely accomplished というフレーズだ。曰く、ブレグジットを実現させ、パンデミックから脱け出し、ウクライナを野蛮な侵略者の手から守った、ミッションは大方達成されたのだ、と。これはどうやら映画「ターミネーター2」のあらすじともよく似ているようだ。Hasta la vista, baby! は、ジョンが文字通り犠牲を伴いながらも危機的な状況をくぐり抜け、敵を倒す、まさにその瞬間のセリフだからだ。

 

では、ジョンソン首相にとっての「T-1000」に相当する「敵」は何だったのだろう?

 

深読みするほどのことではないかもしれないが、ここで8日に行われた辞任演説を見返してみると、伏線とも言えるような一節が見つかった。該当箇所を、BBCの日本語訳とともに紹介したい。

 

But as we've seen at Westminster, herd instinct is powerful. When the herd moves, it moves. And my friends, in politics no once is remotely indispensable, and our brilliant darwinian system will produce another leader.

 

しかし私たちが目にしたのは英政界の強力な群居本能で、群れが動く時には政界も動きます。そして皆さん、政治においてかけがえのない人間などいません。私たちの見事なダーウィン的制度が別の指導者を生み出します。

 

一見すると何のことやらだが、まず「群居本能」とは、生物が群れを成すのを好む傾向を、本能によるものだと解釈する場合、このように呼ばれるそうだ。

 

また「ダーウィン的制度」とあるのは、どういう意味だろう。忘却の彼方にある生物基礎の知識からダーウィンの進化論を思い出してみると「自然選択」たまたま環境に適応できた個体が生き残り、そうでない個体はみな淘汰されたという学説だったはずだ。

 

これらを踏まえると、ジョンソン首相が言わんとしていることは、あるティッピング・ポイント(分岐点)を超えたところで、保守党議員の群集心理が一気に退陣ムードへと傾いて、反・ジョンソンの群れをなしたという、まさに直近数日間のできごとだろう。

 

そして後半では「突如発生した海底火山の大規模噴火が多くの生物を絶滅に至らしめ、新たな環境に適応できた個体が運よく生き残った」といった進化の歴史が示すように、政局の変化が引き起こした突然の辞任劇、それに伴う党首選において、次のリーダーは、必然ではなく偶然によって、棚ぼた的に決まるのだということを、未来への希望を込めつつも皮肉混じりに言いたかったのだろう。

 

さて、退任演説でも、そして最後の答弁でも、彼は与野党の議員に対して(建前だとしても)感謝の言葉を繰り返し伝えている。今回の辞任劇で、確かにスナク・ジャヒド両大臣の辞任がもたらした影響は大きいが、しかし彼らとて「ブルータス」と言えるかは微妙である。したがって私が思うに、彼にとって T-1000 に相当するものは、特定の人物などではなく「保守党議員の群居本能」ではないだろうか?

 

保守党議員の群居本能は、何も今回に限ったことではなく、歴史を振り返っても度々出現している。サッチャー首相の退任の引き金を引いたと言われているハウ副首相の辞任演説、そしてその後「群居本能」がどう作用したかは、ドラマ「The Crown」でも克明に描かれている

 

考えてみれば、彼は異色の経歴と派手な行動で世間の注目を集め、国政に進出するや否や、ブレグジット強硬論を引っ提げて世論を味方につけ、好機を掴んで颯爽と首相の座を掻っ攫っていった人間だ。日和見的な保守党議員とはソリが合わないのも無理はない。彼がしばしば自身の姿に重ね合わせていたウィンストン・チャーチルも、保守党議員の体質を毛嫌いしていた一人だったではないか。そう思うと、保守党というある種の「生態系」の中で、群れの力に生殺与奪を握られてしまった彼の悔しさが伝わってくる。

 

 

ありがとう、ボリス・ジョンソン。退任後はたっぷりと medicament いや、福島の桃ジュースでも飲みながら、楽しく過ごしてくれ。Hasta luego, baby!