100日後にスペインに行く人

スペイン語初心者の学習記録

はじめてのスペイン語

満を持してスペインに到着してから今日で3日目になる。パティオに面したアパートの自室で、まだ薄暗い明け方の空を見つめながらこの文章を書いている。

 

さて、私が初めてスペイン語対面で話したのは、あろうことかスペインではなく、乗り継ぎ地のイスタンブール空港だった。巨大なターミナルの中を歩き疲れた私は、スターバックスというオアシスにできた長蛇の列の最後尾に並んだ。程なくして若い男性が近づいてきて「トルコリラの紙幣をレジでもらったんだけど、使わないからあげるよ」と声をかけてきた。海外の空港では、ユーロやドル紙幣での支払いを受け付けてくれても、お釣りが現地通貨でしか返ってこないというのはよくある話だ。唐突だったので、偽札じゃないかな?なんて要らぬ詮索をしてしまい、相手をかわすための方便として、前に立っていた女性に譲る素振りをした。するとその女性は英語が不得意なようで、よく覚えてはいないが Español... No inglés (スペイン語... 英語ダメ)といった言葉を呟いていた。結局、男性はその場を立ち去ったのだが、これぞ好機とばかりに、彼女にスペイン語で話しかけてみた。

 

その女性は、4か月間のオンライン語学学校で数多く出会った、40代〜50代の profesoras(女性教師)と、見た目から雰囲気までそっくりだった。親近感とはまさにこの感覚、何かあるとすぐに No te preocupes(気にしないで・大丈夫だよ)と相手を気遣うような彼らの物腰の柔らかさにはいつも感心させられる。

 

お互いの身の上話になった。こちらがインターンのプログラムを説明やオンライン語学学校のエピソードを話すと、とても興味深く聞いてくれた。続いて私が彼女の旅程を尋ねると「今からタラゴナに行くのよ」と答えてくれたのだが、わずかな沈黙を経て「でもね、私はタラゴナに住んでるわけじゃないの」と返ってきた。タラゴナは、バルセロナ近郊にある都市だ。一瞬頭の中が混乱したが、すぐに答えが返ってきた。曰く、出身は南米エクアドル。スペインに移り住んだのち、23歳の頃からイスラエルで暮らしているという。そして、今はタラゴナにいる姉妹に会いに行くところだそうだ。兄弟と娘さんがマドリードに住んでいるとのことで、随分とインターナショナルなご家族とお見受けした。ルーツはスペインにあるものの、家族の仕事か、それとも宗教とか、何かしらの事情で外国生活が長いのだろう。語学学校の先生から「スペイン人は世界中のどこにでもいると思うよ」と聞いた当時は半信半疑だったが、世界を舞台に生きてきた人とこんなにも早く出会うとは思わなかった。そしてそんな彼女が英語を使わず、スペイン語ヘブライ語で渡り歩いてきたというのが、なおさら驚きであった。

 

 

2つの住所

来月からビルバオという街に住む。ビルバオバスク地方の中心都市で、中世以来の旧市街と、碁盤の目に区画された新市街が川を隔てて隣り合っている。家探しや何やらで、地図を見たり住所を入力したりする機会が増えるにつれて、ある意外な事実に気がついた。

 

まずは下の2つの住所を見比べてみてほしい。

 

Calle de Gordoniz, 8 48010 Bilbao, Vizcaya

Gordóniz Kalea, 8, 48010 Bilbo, Bizkaia

 

この2つの住所、なんとどちらも同じ場所を指し示している。というのも、上はスペイン語の表記、下はバスク地方固有の言語、バスク語の表記なのだ。スペイン語で「通り」を表す Calle は、バスク語では Kalea と言うらしい。確かにアルファベットの"K"は、スペイン語では外来語以外で使われない文字なので、非常に特徴的だ。

 

昔から2通りの表記があったのかと思いきや、バスク語の方の歴史は案外浅いようだ。2006年に、ビルバオ市内にある約300の通りにバスク語表記が付けられたとのこと。

 

しかし、現実はというと...

«Nadie dice las calles en euskera» , asegura Ángel del Hierro, taxista que lleva 14 años surcando las calles de la villa.

「通りの名前をバスク語で言う人は誰もいません」ドライバー歴14年になる地元のタクシー運転手アンヘル・デル・イエロさんは言います。

www.20minutos.es

 

企業はバスク語表記を採用しているものの、一般市民はスペイン語表記に慣れ親しんでいるのが現状のようだ。1つや2つならともかく、300もの通りに新たな名前が付けられても、そう簡単には適応できないだろう。企業に関しては、おそらくバスク語表記の使用が法的に義務付けられているとか、そんな事情があるのだと思う。この記事はバスク語表記が制定されてから5年後に書かれているので、現在の状況はどうなっているのか、現地での生活を通して確かめてみたい。

 

なお、バスク語表記が制定された経緯を詳しく知ろうと、Googleでさまざまな検索ワードを試してみたのだが、情報が全然見当たらない。おそらくバスク語のことはバスク語で調べる必要があるのだろう。

 

ちなみにGoogleマップではバスク語Appleのマップではスペイン語が採用されている。街なかの標識はすべてバスク語になっているようなので、ビルバオを訪れる際はGoogleマップを使うのがよさそうだ。

 

www.city.sendai.jp

Hasta la vista, baby!

ダウニング・ストリート10番地からあの男が去る。

 

20日、下院で最後の答弁に立ったジョンソン首相は、自身の発言を Hasta la vista, baby! という言葉で締めくくった。これは映画「ターミネーター2」で、エドワード・ファーロング演じるジョン・コナーが、アーノルド・シュワルツェネッガーが演じるT-1000にトドメを刺す直前に言い放つ名ゼリフらしいのだが、あいにくこの名作を私はまだ観たことがない。

 

それはさておき、このセリフ、スペイン語である。英訳では See you later などと訳されているようだが、スペイン語の会話において別れ際に Hasta la vista と言うことはめったにない。なぜならこの表現には「もう二度と会うことはないかもしれないが」といった感情が込められているからだ。したがって、日常会話では Hasta luego「また後で」と言うのが常識的な(?)対応である。

 

あっと驚くフレーズを持ち出して、最後の瞬間にまで議場に爪痕を残していったことで、イギリスの新聞各紙は軒並みヘッドラインにこの名ゼリフを冠して「ボリス劇場」の幕引きを報じている。

 

 

youtu.be

 

さて、この名ゼリフがどういう文脈で出てきたのかを、上の動画を観ながら考えてみたい。カギとなるのは直前約10秒に出てくる Mission largely accomplished というフレーズだ。曰く、ブレグジットを実現させ、パンデミックから脱け出し、ウクライナを野蛮な侵略者の手から守った、ミッションは大方達成されたのだ、と。これはどうやら映画「ターミネーター2」のあらすじともよく似ているようだ。Hasta la vista, baby! は、ジョンが文字通り犠牲を伴いながらも危機的な状況をくぐり抜け、敵を倒す、まさにその瞬間のセリフだからだ。

 

では、ジョンソン首相にとっての「T-1000」に相当する「敵」は何だったのだろう?

 

深読みするほどのことではないかもしれないが、ここで8日に行われた辞任演説を見返してみると、伏線とも言えるような一節が見つかった。該当箇所を、BBCの日本語訳とともに紹介したい。

 

But as we've seen at Westminster, herd instinct is powerful. When the herd moves, it moves. And my friends, in politics no once is remotely indispensable, and our brilliant darwinian system will produce another leader.

 

しかし私たちが目にしたのは英政界の強力な群居本能で、群れが動く時には政界も動きます。そして皆さん、政治においてかけがえのない人間などいません。私たちの見事なダーウィン的制度が別の指導者を生み出します。

 

一見すると何のことやらだが、まず「群居本能」とは、生物が群れを成すのを好む傾向を、本能によるものだと解釈する場合、このように呼ばれるそうだ。

 

また「ダーウィン的制度」とあるのは、どういう意味だろう。忘却の彼方にある生物基礎の知識からダーウィンの進化論を思い出してみると「自然選択」たまたま環境に適応できた個体が生き残り、そうでない個体はみな淘汰されたという学説だったはずだ。

 

これらを踏まえると、ジョンソン首相が言わんとしていることは、あるティッピング・ポイント(分岐点)を超えたところで、保守党議員の群集心理が一気に退陣ムードへと傾いて、反・ジョンソンの群れをなしたという、まさに直近数日間のできごとだろう。

 

そして後半では「突如発生した海底火山の大規模噴火が多くの生物を絶滅に至らしめ、新たな環境に適応できた個体が運よく生き残った」といった進化の歴史が示すように、政局の変化が引き起こした突然の辞任劇、それに伴う党首選において、次のリーダーは、必然ではなく偶然によって、棚ぼた的に決まるのだということを、未来への希望を込めつつも皮肉混じりに言いたかったのだろう。

 

さて、退任演説でも、そして最後の答弁でも、彼は与野党の議員に対して(建前だとしても)感謝の言葉を繰り返し伝えている。今回の辞任劇で、確かにスナク・ジャヒド両大臣の辞任がもたらした影響は大きいが、しかし彼らとて「ブルータス」と言えるかは微妙である。したがって私が思うに、彼にとって T-1000 に相当するものは、特定の人物などではなく「保守党議員の群居本能」ではないだろうか?

 

保守党議員の群居本能は、何も今回に限ったことではなく、歴史を振り返っても度々出現している。サッチャー首相の退任の引き金を引いたと言われているハウ副首相の辞任演説、そしてその後「群居本能」がどう作用したかは、ドラマ「The Crown」でも克明に描かれている

 

考えてみれば、彼は異色の経歴と派手な行動で世間の注目を集め、国政に進出するや否や、ブレグジット強硬論を引っ提げて世論を味方につけ、好機を掴んで颯爽と首相の座を掻っ攫っていった人間だ。日和見的な保守党議員とはソリが合わないのも無理はない。彼がしばしば自身の姿に重ね合わせていたウィンストン・チャーチルも、保守党議員の体質を毛嫌いしていた一人だったではないか。そう思うと、保守党というある種の「生態系」の中で、群れの力に生殺与奪を握られてしまった彼の悔しさが伝わってくる。

 

 

ありがとう、ボリス・ジョンソン。退任後はたっぷりと medicament いや、福島の桃ジュースでも飲みながら、楽しく過ごしてくれ。Hasta luego, baby!

ü

スペイン語で「スペイン」は España と表記する。この ñ は、英語以外の言語に触れたことのない人にとっては見慣れない文字だろう。ñ における「〜」のような記号を ダイアクリティカルマーク と呼ぶらしく、このマークを伴う文字(ここでは便宜上「記号付き文字」と呼ぶことにする)はスペイン語の他にもフランス語、ドイツ語といった言語で広く用いられている。その役割や、発音の仕方は言語により様々で、例えばフランス語で「フランス語」は Français と表記するが、この ç という文字はスペイン語には存在しない。

 

さて、ここでスペイン語で記号付き文字がどのように使われているかを見ていきたい。スペイン語において、á や í のように、母音の上に斜め右上がりの棒がついた文字は、単にアクセント(強勢)の位置を表しているだけで、発音上の違いはない。一方で、ñ は「エニェ」と呼ばれ、n とは発音が全く違う。冒頭に挙げた España は「エスパーニャ」のように発音するのだ。

そんなわけで、スペイン語の記号付き文字は、

  • アクセントの位置を表す文字:á, é, í, ó, ú の5つ(母音の数と一致)
  • ñ

の6つだけだと思っていた。ところがである。

 

スペイン語を学び始めて3か月にして、初めて ü なる文字の存在を知った。なんてこった・・・

 

それは、テキストに

Es una vengüeza + indicativo

というフレーズが出てきた時だった。

 

というのも、ñ や他のアクセント記号に比べると、ü をお見かけする機会はかなり少ない。さらに困ったことに、ネットでは ü の存在を葬り去ったかのようなウェブサイトに出くわす。例えばこのサイトでは、わざわざ「一覧」と銘打っているにもかかわらず、ü の存在がどういうわけか抹殺されている。なぜだ・・・

 

spaingoblog.com

そういうわけで、今の今まで ü の存在に気づかずにいた。

 

さて、肝心の ü の発音はというと、先ほど例文で取り上げた vengüeza は「ベンギュエサ」のように発音する。一方で guerra という単語の発音は「ゲラ」だ。つまり、子音の u を明示的に発声するのが ü 、しないのが u ということになる。

 

ちなみに u の上にある2つの点は、ドイツ語でウムラウトと呼ばれている。下記の動画を見ると「ウ」の口で「エ」と発音する感覚らしい。

 

youtu.be

以上、

  • 記号付き文字は、各言語ごとに使われている文字と使われていない文字が存在し、さらに同一の文字でも言語によって発音が異なる場合がある。
  • ñ のように頻繁に登場するものもあれば ü のようにあまり見かけないものもあり、ある記号付き文字がその言語の語彙に占める割合を調べてみたら面白そう。
  • どうして英語には記号付き文字が1つも存在しないのか? 英語って、男性名詞・女性名詞の区別も無いし、どことなく「異端」な感じがしてきたのは俺だけか?

といったところだ。

 

今回もやはり「ヨーロッパの言語は奥が深い」といったところに落ち着くのである。

【過去時制の使い分け】Preterito Indefinido y Preterito Imperfecto

Llegué a España el mes pasado. Estaba muy nerviosa porque era la primera vez que viajaba sola al extranjero. Como mi curso de español empezaba por la tarde, por la mañana hice el tour guiado que la escuela de español ofrecía gratuitamente después de la prueba de nivel. Esta excursión fue una gran oportunidad para empezar a conocer la ciudad y a los compañeros de clase. Lo más impresionante fue conocer gente de más de diez países diferentes y pudimos poder disfrutar de un recorrido muy agradable. Ahí me di cuenta de que mi estancia en España sería genial. Despúes del tour, empecé mi curso de español por la tarde. Me sorprendió positivamente tambien.

 

 

Llegué Una accion termminada. 時を表す副詞句 el mes pasado にも注目。

Estaba Una descripcion. nervioso という感情を表す表現が続いており、心理「状態」を表す線過去を用いる。

viajaba Una accion habitual. la primera vez につられて一回限りの行為と思いがちだが、que 以降の「一人で外国を旅すること」は複数回に及ぶ習慣的な行為なので、線過去。

empezaba Una accion habitual. mi curso de español は(例えば毎週月曜日から金曜日までといったように)反復的に行われるので、線過去。文脈を読まないと分からないと思う。

hice Una accion terminada. こちらも同様に文脈を読む必要がありそう。というのも después de la prueba de nivel (レベル分けテストの後に) という副詞句があり、レベル分けテストは通常1回きりの行為だと考えれば、hice の目的語 el tour guiado も1回きりの行為だと考えられる。よって、点過去。

ofrecía El pretérito imperfecto sirven para hablar de dos acciones simultáneas 過去のある時点で同時に起こった2つの行為を表す時は、主節の動詞を点過去、従属節の動詞を線過去で表す。時を表す副詞節 (cuando..., mientras...) に限らず、このように関係代名詞でもこのルールが適用されるようだ。

fue Una accion terminada. Descripcion とも解釈できそう?

fue, pudimos, me di cuenta Una accion terminada. 点過去。me di cuenta などはフレーズとして覚えた方が良さそう。

empecé Una accion terminada. Despúes del tour という副詞句があるので、目的語 mi curso de español は「ツアーがあったその日の講義」という1回限りの行為を指している。よって前述の mi curso de español empezaba por la tarde の場合と異なり、点過去。

sorprendió 線過去の用法の1つに、心理状態を表すというのがあるが、sorprendió は再帰動詞であることからもわかるように、一種の動作である。

Alberta

カナダのアルバータ州をご存知だろうか。世界遺産に登録されているカナディアン・ロッキーや、冬季オリンピックが開かれたカルガリーには、日本からも例年多くの観光客が訪れている。

 

さて「アルバータ」という名前は、1875年、ヴィクトリア女王の夫・アルバート公にちなんで名付けられた。ここで気になる(気にならないかもしれないが)のが、人の名前は「アルバー」なのに、土地の名前は「アルバー」だということである。

 

スペイン語学習者なら、ここであることに気がつくかもしれない。それは、男性名詞と女性名詞という概念だ。スペイン語では、あらゆる名詞に「性」があり、一般に -o で終わるものは男性名詞、-a で終わるものは女性名詞に分類される。当然ながら「人の名前」も名詞なので、例えば Mario は男性の名前、Maria は女性の名前である。また、日系人として初めてペルーの大統領に就任したフジモリ元大統領の名前は アルベルト Alberto だ。

 

この規則性をもとにすれば、冒頭に挙げたアルバート公アルバータ州の違いは、名詞の性によるものではないか?という仮説が立てられる。

 

実はアルバータに限らず、世界にはアルファベットの a で終わる国名や州名が多い。アメリカ、オーストラリア、イタリア、カリフォルニア、ジョージア・・・。もっと大きなスケールでは、アジアやアフリカ、オセアニアといった単語も該当する。ここで注意したいのが、上に挙げた地名は必ずしも英語に由来するものではないという点である。イタリアは英語で Italy で、イタリア語で Italia である。したがってこの規則性は、汎ヨーロッパ的なものと言えるのではないか。

 

そうすると、ではなぜ地名が女性名詞なのか?なぜ「アルバート州」ではないのか?という疑問が生じる。

 

この辺りまで考えたところで、正解(とされる言説)を調べてみると、起源はラテン語に求めることができるようだ。堀田*1によれば、

文法性をもつヨーロッパの他の言語が国名をどの性で受け入れたかは,各々であり,必ずしも一般化できないようだが,文法性を失った英語において擬人的に女性受けの傾向が生じたのには,ラテン語の力があずかって大きいといえるかもしれない.(中略)ラテン語では -ia のみならず -a も女性語尾であり,これによる国名・地名の造語もさかんだった (ex. Africa, Asia, Corsica, Malta) .

とある。

 

今日の英語においては、男性名詞・女性名詞という概念は消滅しているものの、船や空母に対して女性代名詞 her を使うように、漠然とした男女のイメージはわずかながら残されている。カナダ中西部への入植が進んだ19世紀の人々も、きっとそんなイメージを持っていたに違いない。無論、当時のイギリスの知識人はみなラテン語の素養があったので、より明確な意思をもって「アルバータ」と名付けたのかもしれない。

 

いずれにせよ、ヨーロッパから遠く離れた北アメリカ大陸の地名に、ラテン語の痕跡と、ラテン語をもとに形づくられた西洋文明の痕跡を感じずにはいられない。

*1:堀田隆一, "なぜ国名が女性とみなされてきたのか. ", http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2012-02-19-1.html